VACHERON CONSTANTIN
2024年 2月16日

ヴァシュロン・コンスタンタン、大人の時計の嗜み
第四回

ヴァシュロン・コンスタンタンは、268年間一度も途切れることなく、マニュファクチュールとしてジュネーブの伝統的な時計作りを続ける。1755年に24歳の若さで自身の工房を開いたジャン=マルク・ヴァシュロンは、時計職人としての優れた技術や才覚だけでなく、それまで分業で行なわれていた時計作りを一ヶ所で行なう協業体制を作り上げた。やがて3代目ジャック・バルテルミー・ヴァシュロンとビジネスに秀でたフランソワ・コンスタンタンの出会いにより、世界に販路を拡大。1819年にヴァシュロン・コンスタンタンとして創業した。今回はブランド発祥の背景とジュネーブで培われた独自の文化や技術にスポットを当てたい。その歴史はジュネーブ時計の歩みとともにあり、時を超えて継承する精神は現在のタイムピースにも宿るのだ。

Text by : 柴田 充

ジュネーブ時計の真髄が息づくオートオルロジュリー

スイス時計の生産地には、大きくふたつの勢力圏がある。ひとつはフランスとの国境に位置する都市ジュネーブ、もうひとつがラ・ショー・ド・フォンやル・ロックルを中心としたジュラ渓谷一帯に広がる地域だ。とくにヴァシュロン・コンスタンタンが生まれたジュネーブはスイス時計産業の発展の要衝として知られる。

中世のジュネーブはカトリック司教座都市として栄え、教会の装飾品を作る金銀細工の技術が発達し、多くの細工師たちが競い腕を磨いた。だが16世紀に起った宗教改革の下、ナントの勅令により、プロテスタントの信仰の自由と政治上の平等が認められ、カルヴァン派がその地を改革の中心地に据えた。カトリックからプロテスタントに変わり、新たな教義の下、ジュネーブ市民には奢侈禁止令(しゃしきんしれい)が出されたのである。そのため繊細かつ高い技術を持っていた金銀細工師も多くが輸出用の時計製造への転向を余儀なくされた。こうした技術の業態転換をさらに加速度的に進めたのもやはり宗教改革だった。

やがてフランスではカトリック勢力が盛り返し、結果1685年にナントの勅令を廃止し、プロテスタントへの宗教的迫害が再び始まった。当時フランスは時計製造の先進国であり、これに従事していた新教徒たちも国外に逃れることに。なかでも新教徒の地ジュネーブには多くの時計職人が移住し、高度な時計技術が持ち込まれたというわけだ。

ヴァシュロンコンスタンタン 本社兼マニュファクチュール

こうしてジュネーブが優美な装飾や複雑機構など熟練の手仕事によるオートオルロジュリー(高級時計)を主にしたのに対し、ジュラ地域では冬の農閑期の労働力を生かし、パーツ製造始め、比較的シンプルな時計の量産技術が進んだ。生産機械の導入や物流も早期に整備され、一大産業集積地としてジュネーブとは異なる発展を遂げたのだった。

揺籃の地ジュネーブとヴァシュロン・コンスタンタンの強い絆の象徴のひとつがジュネーブ・シールだ。19世紀ジュネーブ時計の名声は世界にとどろいたが、一方で多くの模造品も現れ、評判が落ちる事態に。これを重くみたジュネーブ州議会は、1886年に独自の検査局を設立し、ムーブメントのパーツの装飾や面取りといった仕上げを中心にした厳格な技術要件を定めた。そしてジュネーブで製造され、これを満たした高品質のムーブメントにのみ証明書の発行とジュネーブ州の紋章の刻印を許可したのである。


ジュネーブ・シールの審査基準は、時代とともに精査され改正を重ね、いまも世界最古の品質と審美性の証であり続ける。ヴァシュロン・コンスタンタンは、1901年にこれを初めて取得。以来、栄誉あるマニュファクチュールの精神として1世紀以上に渡って踏襲しているのだ。

ヴァシュロン・コンスタンタンは、かつての宮廷時計や、貴族など特権階級の依頼によって作られたオートオルロジュリーの様式をいまも守り続けている。2006年に「アトリエ・キャビノティエ」として開設され、後に技術開発部門「メートル・キャビノティエ」と統合し、より拡充した専門部署「レ・キャビノティエ」では、エナメルや七宝、彫金、ジェムセッティングといった古典的な工芸技法を日々研鑽するとともに、装飾だけでなく、超複雑機構の開発設計から製造までフルオーダーで顧客のビスポークに応じる。それはまさにジュネーブ時計の歴史と伝統を担う矜持といっていいだろう。
そのひとつが2004年にスタートした限定コレクションの「メティエ・ダール」だ。毎年異なるテーマの下、長年培ってきた由緒ある装飾技法を駆使する。その美しさと価値はまさに美術工芸品と呼ぶにふさわしく、コレクション名が“匠の芸術”を意味するように、往時の金銀細工師の卓越した職人技と華やかな美意識を彷彿とさせるのだ。

さらに時代を超越する美を追求するとともに、ブランドの創業260周年に当たる2015年には究極のグランドコンプリケーション「リファレンス 57260」を発表した。2800以上のパーツを組み込み、57種の機能を内蔵する超絶の複雑機構を実現した。これは四半世紀ぶりに時計史上最も複雑な機械式時計の記録を打ち立て、しかも顧客の発注で作られた、現存するハイウォッチメイキングでも唯一無二のビスポークなのである。
キャビノティエとは高度な技術を持った時計職人を意味し、18世紀のスイスでは窓から日光の入る屋根裏部屋(キャビネット)の工房で時計作りに専心したことに由来する。「レ・キャビノティエ」はまさにその再現であり、いまも変わらぬジュネーブ時計の精神を宿すのである。

現在のヴァシュロン・コンスタンタンの工房

歴史の重みを感じさせる風格からメンズウォッチのイメージの強いヴァシュロン・コンスタンタンだが、その歴史を振り返ってみると、とくにビスポークの特注品や限定品において数多くのレディスウォッチを手がけてきたことも見逃せない。それはまさに女性たちの夢をかなえるオートクチュールの世界といってもいいだろう。名門ファッションメゾンのオートクチュールが厳密なコードの下、厳しい規律が守られ、想像力に富んでいるように、熟練の職人の技と審美性、独創性を併せ持つ独自のオートオルロジュリーもその価値感を共有するのだ。

ヴァシュロン・コンスタンタンの生み出してきた素晴らしい女性向けジュエリーウォッチの数々

アーカイブに残る最古のレディスウォッチは1815年に作られたポケットウォッチで、イエローゴールドのケースミドルにはガーネットのモチーフを際立たせた花模様の精巧な彫刻が施されている。こうした顧客にはフランスのリュシャプト伯爵夫人やルーマニア王妃エリーザベトといった女性たちが名を連ね、金銀細工や宝石の装飾を施した時計を“時を告げるジュエリー”として愛用していたことがわかる。さらに身につけ、豪奢を際立たせるだけでなく、実用機能を求め、1835年にはすでにリピーターウォッチも作られた。これをドレスのポケットに入れたり、ペンダントとして身に付け、夜会の仄かな明かりでも澄んだ音で時刻を知らせ、気品と洗練された所作を演出したのだ。

1815年に発表されたヴァシュロン・コンスタンタンのイエローゴールドのポケットウォッチ

美への探求心と旺盛な創造性は、ブローチやペンダント型ウォッチに飽き足らず、やがて手元へと向けられた。20世紀前半に腕時計が普及する以前、いち早く着け始めたのも女性たちだった。ポケットウォッチのラウンドから解放された時計のケースは、オーバルやレクタンギュラー、スクエアなど多様化し、魅力を開花した。さらに小型ムーブメントの開発によってデザインの自由度は増し、よりゴージャスなジュエリーウォッチが登場。まさに“時を告げるジュエリー”として美を極めていったのである。
こうしたオートクチュールとオートオルロジュリーを融合し、女性に特化した現代の代表的コレクションがエジェリーだ。2020年に登場し、ラウンドケースにアシメトリーなモダンデザインを纏い、ラグジュアリーに磨きをかけた。エジェリーとはギリシャ神話に登場する女神を意味し、フランスでは美しさと知性を兼ね備えた女性の代名詞として使われるという。その思いとともに、そこには世代を超えて女性の美と寄り添い、歩んできたブランドの時が刻まれている。


エジェリー・クォーツ
1205F/000R-B622

小ぶりながらも圧倒的な個性を放つ「エジェリー・クォーツ」。古くからの“タペストリー”技法を使って生み出された微妙なプリーツの模様で装飾されたダイヤルの上を針が滑り、優雅に時を告げる。18KPG(30mm)。3気圧防水。
価格:3,080,000円 税込

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柴田 充 / Mitsuru Shibata

ライター/時計ジャーナリスト。コピーライター、編集者を経て、フリーランスライターに。広告制作や編集他、時計専門誌やメンズライフスタイル誌、デジタルマガジンなどで執筆中。




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