-MASUNAGAsince1905-⑤


皆さまこんにちは!本年もどうぞよろしくお願いいたします。

アイアイイスズの長安です。


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大阪の橋本清三郎からの伝手で、明治三十九年の夏頃から生野に1年間技術指導に来てくれた豊島松太郎。「銀縁枠」や「赤銅枠」を伝授したのはこの豊島である。とはいえ、当初は苦難の連続で、生産体制が軌道に乗ったのは3年後の明治41年ごろといわれており、この間の苦労は並大抵のことではなかったとされています。

東京の日本橋が石造りになった明治44年(1911年)、この年に行われた内国共産品博覧会で1650点もの応募の中から上位5点のみに与えられる賞を獲得。眼鏡作りが始まって6年、五左衛門の名前で「内国共産品博覧会」に出品された「福井のめがね」は、見事有功一等賞金牌を射止め、当時のめがね先進地である大阪もの、東京ものと肩を並べるまでになります。
ここに至る過程においては、後述する「帳場制」などの制度的取り組みもありましたが、根本には「他から馬鹿にされることのない、最高のものをふるさと生野でつくる」という誇りがありました。それ故に、作っためがねを何度となく大阪などのめがね取り扱い店に持っていき、当初はそもそもほとんど受け取ってもらえなかったり、受け取ってもらえたとしても製品に対して大量の付箋(修正点の指摘が書かれている)がついて返品されてくる中で、それらを一つ一つ修正していって品質の向上を追求したのです。真摯に素直に相手に耳を傾けて改善を重ねていったのです。また、単なる東京や大阪のめがねの真似をするわけでなく、自分たちが誇りを持てるより良いものを求め続けたのです。その結果が内国共産品博覧会の結果でした。

増永のめがねが、いち早く技術の進歩を見たのは、増水工場独特の「 帳場制度」にあったといわれています。「 帳場制度」というのは、簡単に言うと「請負製」です。
五左衛門は増永工場の「大将」であり、その下に「増永一期生」を中心に厳しい徒弟制度で「技」を磨かれた 「親方」数人が職人や徒弟を抱えてめがね作りに取り組む。「親方」は、自分の「帳場」で作った製品を「大将」に納入、出来高に応じた手間賃をもらいます。販売を考えずに製品作りに専念できる制度といえ、後には、徒弟の養成も行う完全独立性となりました。各帳場はその出来高に応じて手間賃をもらえるので、各帳場ごとに製造技術を競い工夫するようになりました。さらに、定期的に工場二階で「品評会」を開いて各帳場が腕を奮っためがねを並べて比べ合い、他の帳場のものまねなどせず各自の技、製品を競い合いました。
このような競争の風潮の中で脱落する仲間もあったそうです。しかしこのような取り組みから、工場内の仲間でも単なる馴れ合いの仲間としてではなく競い合う相手として自然と切磋琢磨し、結果的に福井のめがねの品質を飛躍的に高めて新製品も生み出していったそうです。
その頃には増永の工場は親方や従弟、職人を合わせて50余名になっていました。増永工場の成功は初期の技術投資と「帳場制」であり、「増永一期生」といわれる(末吉,五郎吉,三之助,八郎)優れた技術者の下に製造グループを編成し、切磋琢磨しながら品質向上に努めたことでした。この一期生の人達が、次々と眼鏡事業を起こし次代の人材を養成したのです。

参考文献(おしょりん 藤岡陽子著・他)写真はイメージ

続きは次回、ではまた。

 

増永眼鏡 取り扱い店舗
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