-MASUNAGAsince1905-③


皆さまこんにちは!
アイアイイスズの長安です。


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当時東京の新橋駅から神奈川の横浜駅まで、汽車に乗るには下等の座席で五十銭がかかりました。米一升は五銭だったので、十升ぶんに相当します。生野のように狭い土地で米を作っていたとしても、とても貨幣は稼げない。貨幣がなければ汽車にも乗れず、食べてはいけてもただ原始の暮らしを守るだけになる。そして福井の村々からも徐々に、地元に職が無いため村を出て待遇や生活条件が悪かろうと東京や大阪に移っている人の話が聞こえてくるようになります。女工として若い娘が田舎からどんどん都会に出稼ぎに出なければ暮らして行けず家族が一緒に幸せに暮らす事ができない経済格差が既に生まれていました。


その頃、明治36(1903)年3月1日~7月31日にかけて大阪市天王寺今宮で行われた最後にして最大の内国博、第5回内国勧業博覧会※1では夜間開場も行われ、会場にはイルミネーションがあり、大噴水も5色の照明でライトアップされ、通天閣のルーツとされる大林高塔(高さ約45メートル)にはエレベーターが設けられ人気を呼びます。入場者数400万人を超えたこの博覧会には様々な建物が建てられていましたがその中には博覧会の冠通り、産業を奨励したり、未来の、つまり当時の外国の先進技術を展示する建物も建てられていました。


将来の万博も意識して建てられた参考館には、それまで認められていなかった諸外国の製品を陳列しており、アメリカ製の8台の自動車を含むイギリス、ドイツ、フランス、ロシアなど十数か国が出品しており、その中には活字時代の到来を見越した外国製の眼鏡もありました。

羽二重のときに既に技術が出来上がっている他の地方や、福井でも他の工場に追随する状態での起業だったため他社の影響を受け閉鎖することになった経験から、ちょうど大阪にいた幸八は会場で眼鏡を見たときに、外国製と日本製の眼鏡の出来上がりに雲泥の差があることを知り、商機と考えます。

幸八は早速生野に戻り五左衛門に眼鏡作りを勧めます、当初五左衛門は10年前にも幸八に羽二重起業を勧められ一度失敗している工場経営に対して慎重な姿勢でした。

ちょうどこの時期、日露戦争※2が勃発し日本が列強と戦って勝利を収めたことから、その戦況情報を得ようと新聞雑誌が飛躍的に発行部数を拡大し、老眼鏡が売れ出した時期でもありました。時代の潮流が活字文化をもたらし、眼鏡が日常欠かせない必需品になるであろうと五左ェ門は感じ、大阪や東京で作られている日本製の眼鏡は外国製に未だ及ばず、生野から追い越すこともできるのではないかと困難を承知で進んでいくことになります。

参考文献(おしょりん 藤岡陽子著・他)写真はイメージ

続きは次回、ではまた。

※1 内国勧業博覧会は明治時代の日本で開催された博覧会である。国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的として、東京で3回、京都・大阪で各1回の計5回を政府主導で開催された。

※2 日露戦争は、1904年2月8日から1905年9月5日にかけて大日本帝国とロシア帝国との間で行われた戦争である。朝鮮半島と満州の権益をめぐる争いが原因となって引き起こされ、満州南部と遼東半島がおもな戦場となったほか、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられた。

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